めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」。最近投資系の記事は「http://www.toshi-meguri.net」で書いています。

産みましょう、日本の未来のために!

職場に育児休業を終えた三児の母がかえってきた。非常に気立てのいい人で周りから好かれているので、「復帰歓迎会」なんて食事会が自然と開催されるほどだ。なるほど好感の持てる性格、行動をすれば人生は豊かになるのだなと僕は思った。


今日一番下の子が一歳になるんですよ、と話があったので、僕の息子も今月一歳なんです既に歩き始めているんですよと自慢したら話が盛り上がった。子供が三人もいて仕事もしていたら大変でしょうと僕が労わると彼女はふふっと笑って「大変だけど子供に癒される日々です」と言ってのけた。なるほどこれが女の強さなのかと思いつつ、生きることの大変さとか子供を持つ責任をひっくるめて受け入れ、楽しさを見出している彼女は眩しいなあと思った。


すごいなあ、三人子供を持つなんて想像つかんすよと独りごちた僕に「いやいや、たくさん産みましょう日本の未来のために!」と彼女は言って仕事に戻っていった。実に面白い人だと思う。実は僕も同じようなことを考えていて、漠然とした「家族が欲しい、子供を持ってみたい」という動機に加えて、将来の日本を担う子を残したいという気持ちを確かに持っていたのだ。いつ自分に芽生えた感情なのかはわからないけれど、少なからず愛国心があり、次の世代を育てたいという想いはある。もちろん正確に言えば子を埋めるのは母であり、偉そうなことは言えないので黙っていたけど、そういう信念の元生きている人も周りに存在するんだと知って僕は嬉しくなった。



抑制と情熱の間

アル中カラカラ、という言葉で話題になったおじさんがいるのをご存知だろうか。凄まじい濃さでハイボールを作り、恐ろしい量を笑っちゃうスピードで飲み干すのだ。

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炭酸をウイスキーで割っていると言ったほうが正確そうな飲み物を楽しそうに飲みながら、汚い畳の上で肉や野菜を切り、何年も洗ってないように見える炊飯器で飯を作る。「おいしーかも!」というのが彼の口癖なのだが、一切抑制の効いていない、欲望のまま食いたいものを食い飲みたいものを飲んでいる姿を見ていると、なんだか幸せそうで羨ましく感じてしまう。

 

我慢するとか清潔に保つとか自分を大切にするとかそういった概念は存在していなくて、ある種の自傷行為にも見えるけど、抑圧されていないおじさんの一つ一つの行動を見ていると、そこには間違いなく人間としての幸せが確かにあるように思える。

 

利口的であることが必ずしも良いわけではなくて、本当は良くないと思いつつも己の声を聞いて羽目を外してみるのもいいかもしれないと思った。

 

ただ僕はもう長いこと自分の心の声を聞くことをしてこなかったので、アル中カラカラさんのように思いっきり何かしたい、行動したいと思えることがない。わからない。これはちょっと悲しいと思う。

 

ちょっとでも自分が意欲的になれていることを見つけてはメモを取り、知るしかない。壮大なリハビリをしているような気分だ。

うまくいかないことを前提に考える

数ヶ月自分のために文章を書いていないので、表現の仕方を忘れてしまった。上手に靴紐が結べなくてイライラした幼い頃の自分を思い出す。理想の形にならなくて、やり直す。結んでは解いて、また結ぶ。繰り返しだ。


★★★


自分で決めたことだが、生活に便利な場所を離れて、田舎に引っ越した。生活費を抑えるためだ。


結果的に年間15万円ほど節約できる生活になったけど、家の近くにあったテニスコートが気になってしまい、インドアテニスを始めて全部パーになった。運動習慣がついてなによりだけど、こんなはずじゃなかった気がする。車は毎週レンタカーを借りる予定だったが、その内うっかり買ってしまう気がする。気持ちの変化は、圧倒的な波となって自分に襲いかかってくる。うまくいかないものだ。


★★★


通勤時間が往復30分から2時間になり、疲れがなかなか抜けなくなった。物思いに耽る時間が減り、通勤ラッシュを乗り過ごすためにゲームをやることが増えた。本でも読めるといいんだけど、気力がない。資格の勉強に燃えていたのに、いつのまにか忘れている。覚悟していたけど、環境が変われば人は変わる。だんだん自分がバカになっていくような感覚がある。


住んでいる場所の近くで働きたいが、良い求人がない。年収300万円でどうやって子供を育てろというんだと悪態をつく。が、なにも変わらない。歳をとるにつれて選択肢が狭くなっていく。与えられていたカードがいつの間にか価値がなくなっている。未経験で420万円ぐらい欲しいと思うと自動販売機の飲み物を補充するか期間工になるぐらいしかないようだ。すぐに使い捨てられそうな感じがするけど。


★★★


幸せになりたい。



実録!数学から逃げ続けたけど結局勉強することになった話

 

サインコサインタンジェント。わかりません。呪文ですか。動く点P、動かないでほしい。水溶液の濃度、計算したくない。こんな風に思いながら過ごしてきました。

 

珠算検定を持っているので単純な数字の計算は得意なんですが、公式を使った計算や割合を求めるような問題が死ぬほど苦手で、高校生の時に数学のテストで一桁点数を叩き出した時、僕は完全に数学から逃れることを決意しました。

 

「文系・理系」などという有難いやら分類の仕方が意味不明な制度により都合良く文系の道に進み、国語、英語、社会学を専攻することで何とか大学に受かり、無事に就職までたどり着いたのですが、その後の職業選択により、笑っちゃうんですが数学の壁にことごとくぶち当たることになりました。

 

僕は大学を卒業後、専門卒でもなければプログラミングの経験もないまま、無謀にもソフトウェアを受託開発する零細企業に就職しました。理由は、「何か自分でサービスを作ってみたい」という漠然とした動機と、IT業界が文系理系問わず人材を募集していたことでした。今だからわかることですが、プログラムを書くという行為は「プログラミング言語への理解力、国語力、論理性、情報の取捨選択と分類能力」を非常に問われ、あるレベルを超えてくると文系とか理系だとか、そういったことは関係のない世界なのです。

 

プログラミングは基本的にコードを上から順に読み上げる逐次実行、条件分岐(IF)、繰り返し実行の3パターンになり、あとは顧客の要求をどのようなデータ構造を使って満たすのか、どのタイミングでどういった処理をするのかといった要件を整理していくような仕事です。また複雑な計算や処理は誰かが作ったフレームワークを使うこともでき、「便利な世界だなあ」と思っていたのですが、仕事をしていくうちに結局数学の知識の欠如にぶち当たりました。

 

僕はとある店舗の来店顧客管理システムを作っていたのですが、客の待ち時間の集計をするプログラムを書く時に、いわゆる論理和と論理積と否定についての処理を書かなければいけなかったのですが、なにせ「数学を捨ててやったぜ」と思っていた若造であったのでコーディングに時間がかかってしまい、当時一緒に働いていた社長に「お前ド・モルガンの法則もしっかり理解できてないのかよ、大学出てるくせにバカだな」と言われ、非常に恥ずかしい思いをしました。なので、仕事をしながらこうした数学の勉強を平行して覚えないといけなくなり、非常に苦労しました。

 

ド・モルガンの法則について指摘されたことが一番印象深かったのですが、それ以外にも細々とこうした「数学を知らないことで起きる弊害」が少なからずあり、我ながら生き恥を晒しているような気分で仕事をしていました。

 

また現在は転職して3Dスキャナーや3Dプリンターを販売する仕事をしているんですが、3Dスキャナーを使った測定業務が増えてきたことで、営業職になったにも関わらずまた数学に翻弄される日々が始まりました。例えば「現地点から45度に10mの距離にある測定物が50度に移動した時に距離は何m変わるのか」みたいなことを計算する必要が出てきました。またですよ。「お前大学出てるのに三角関数も理解していないのかよ」と言われる日常がやってきました。なので僕は今測量士補という資格の勉強をしており、三角関数の基本から勉強をしています。

 

今は「必要だからやるしかない」という理由でしっかり勉強ができているんですが、学生の頃からこうした基本的な数学の知識があれば、もう少し恥ずかしい思いをせずにいきてこれたかもしれないです。また最初からもっと違う仕事についていたかもしれません。

 

「先生、数学をしっかり勉強しないとどうなるというのですか」「お前が数学を使わない仕事に就くだけさ」みたいな会話をどこかで耳にしたのですが、僕のように変なキャリアを積んでいくとあらゆるところで見て見ぬ振りをしてきたツケに追い回されます。

 

学校の勉強、本当に大事だったし、もっとやっておけばよかった。

 

でも、こうした仕事をすることで、勉強をする機会が得られてよかったと思うべきなのかも...。

 

 

家族が増えて考えが変わり、通勤時間を3倍にした話

 

僕は長いこと「通勤時間は短い方が良い、その方が生活の質が上がる」と考えてきました。その考え自体は全く間違いではなく、今でもその正しさを実感できるのですが、子供ができたことで自らの考えを改めることになったのでその話をしたいと思います。

 

僕は今会社まで自転車で15分、電車で20分で通える所に住んでいて、通勤のストレスもなく、非常に快適な生活を送っていました。車を持たず、電車と自転車を使い、必要なものはシェアし、必要な分だけ使うことを徹底し、自分がうまく立ち回れていることに少し誇りに思いながら暮らしてきました。なので逆に「通勤時間で何時間も使っている人は、時間がもったいなく感じないのだろうか?」と少し偉そうに思う気持ちも正直ありました。「通勤時間は人生の無駄」「その時間をもっと有効に使おう」という論調は今インターネット上でも度々展開され、それに同調する日々でした。

 

ところが、子供ができたことで、僕はその考え方を大きく変えざるを得なくなりました。僕の人生は僕だけのものではなくなり、守るべきものが増え、環境は大きく変わったのです。

 

まず僕は通勤時間を短くすることを優先したために、「エレベーター無し4F」という子育てをするにはあまりにも過酷な環境に住んでいました。妻はベビーカーを持って子供を抱えるわけにいかないので、出不精になってしまい、大きな迷惑をかけました。家賃を抑えるために築30年以上経った物件に住むことになったので、細かいトラブルも多く、ストレスを感じない日はありませんでした。また住んでいる地域の子供の保育料が高く、安い場所と比べると130%多く毎月の保険料を払うことになりました。

 

また車を持たない生活が好きでしたが、子供と出かける時に毎回電車移動というのは骨の折れる作業で、階段の上り下りの苦労や電車が混み合っている時の精神的な負担も大きく、さらに大きな買い物もできないので不便さを感じました。毎月2万円の月極駐車場を借り、車の購入費用と保険費用を支払うことは今の収入では厳しいため、考え方を大きく変える必要があると感じました。

 

そうした経緯があり、僕は今住んでいるところを離れ、いわゆる郊外に引越をすることに決めました。通勤時間は3倍になりましたが、子育て支援の手厚い場所に住めることになったのです。

 

子供の保育料が安くなり、年間のコストが十万円単位でお得になりました。また駐車場が4000円で借りられるようになったので、車を持つ選択肢が生まれ、さらに家賃が月に1万円以上安くなったので、生活のコストを大きく下げることができました。家から徒歩5分のところに、車を12時間借りても2525円(税込)のニコニコレンタカーがあるので、毎週1回借りても1万円程度。車にいつでも乗ることができるメリットは享受できませんが、コストだけ考えると随分安くすみます(年間12万円)。だから今は駐車場を借りずに家賃をさらに下げる選択をしています。すぐに駐車場を契約しないことでいざ車を持ちたいと思った時に場所を確保できないリスクもあるのですが、「住人が借りたいと申し出れば1ヶ月で場所を開けてもらえる」特約がついている場所にしたので、そうした選択も自由に。

 

給料がもりもり上がっていくような会社に勤められればよかったのですが、しぶいところに入ってしまったので、生活のコストを抑え、賢く生きるしかないと思ったのです。自分のキャリアと収入は常に上げていきたいとは思っていて、諦めてはいないんですけど、現状自分の勉強不足と努力不足で今の現状になっていると思っているので、上を見ながら一生懸命頑張って、その結果チャンスが生まれた時にはじめてまた自分の環境を変えればいい。そう思っています。

 

本当に、人は置かれた環境で変わっていくのだと感じた次第です。