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めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」

全能感を捨てきれない

雑記

とある友人のライブが昨日あったので見に行ったんだけど、ハコの中でとんとんと肩を叩かれて、ああん何だよと思って振り返ったら会社の先輩がいた。ああ...仕事とリアルが繋がった瞬間だった。

 

どうせ誰にも会わないだろうと思ってTシャツに長さの合っていないジーパン(裾を折りたたんで履いてる)と、サンダルの格好を見られたのが猛烈に恥ずかしかった。何の法則か知らないけど、完全に油断したな、と僕は思った。

 

どうも数年つるんでいる友人と繋がりのあるバンドでボーカルをやっていたみたいで、驚いた。およそ6年。いつ交わってもおかしくなったが、会社の同僚になったことで急に謎の吸引力で引き寄せられたのだろうか。とても偶然とは思えなくて、「ああこれが必然ってやつか」と思った。

 

さらに驚いたことに、今勤めている会社の社長がやっているバンドとも交流があるらしく、来年に同じハコでライブをするらしい。ああもう勘弁して...と僕は思った。次々に紡がれいく関係線に、目眩がした。仕事とプライベートの境界線がなくなり、ずるずると引っ張られていく。

 

☆☆☆

 

先輩の歌は超上手で、どのバンドよりも会場を沸かせていた。なんだか知らないけど、オタ芸のできるファンまでついていた。仕事では見たことのない、また違った輝きがあって、ひどく驚き、動揺した。

 

仕事もプライベートもしっかりと自己実現ができている様子を目の当たりにして、僕はへこんだ。すごーく、へこんだ。僕自身、生きてくる中で積み上げてきたものがあるはずなのだけど、時折圧倒的な人間のパフォーマンスを見てしまうと、自分がひどく器のい小さい人間に思えてしまって、激しく落ち込んでしまう。特にそれが、身近なところにいる人であると余計にね。

 

☆☆☆

 

1日は皆等しく24時間であるから、先輩は音楽で自己実現をするべく、たくさんの時間を費やしてきたのだろう。そして僕はそうではない。先輩はたくさんの人と長い時間をかけて交流し、人を集め、ライブを成功させている。そして僕はそうではない。だから、こんな気持ちになる必要なんてない。そう思っても、何だか悔しい気持ちが抑えられないのは、たぶん僕に全能感があるからだろう。「自分にもああなれる可能性がある」と思ってしまうからだ。

 

この気持ちを捨てて、今やるべきことをしている、時間を割いていることに誇りを持ち、くだらん嫉妬や羨望の気持ちで、あれこれ手を出さないようにしたい...。

 

ああ、僕は「何者にもなれない自分」を感じてしまって、それが辛いんだな。

仕事で「何か手伝えることはありますか?」と相手に聞くことを辞めた

雑記 仕事 営業

僕は数百万円の精密機械を販売するお仕事をしている。年間ノルマは数千万円。辛い。値段がとても高いので、お客様にすぐ買ってもらえることがまずない。従って、長期的な顧客フォローと、高くそびえるノルマに対して計上されていかない売り上げの数字を見ても頭がイカれない精神を持つことが重要なのだ。

 

さて、そんな僕にも営業アシスタントが一人ついている。同い年の女の子なんだけど、すごくよく気がつく子で、仕事を頼むと高いクオリティで結果が返ってくる。なんというか、高級車に乗っている気分で仕事ができる。こんな気分にさせてくれる人ってそんなにいないので、貴重な人材だなと思う。

 

その女の子が近々結婚をするということで、平日の夜に打ち合わせが入るということで早く帰らせてあげたいと思って、「手伝えることある?なんでも言ってよ。今日あと(作業)何が残ってるの?」と僕は毎日聞いていた。でもこの言い方、受けてからすると、感謝こそすれ、たぶん「気持ちだけもらっておくわ」となるだけだろうなと思ったのだ。

 

毎日のタスクを朝整理して作業をする中で、自分の仕事を他人に振ろうと思うと、「作業を振るためのコスト」がかかる。例えば問い合わせ対応を代わりにやろうと思ったら、お客様からの問い合わせの経緯や日時、回答すべき内容について共有するというコストがかかる。つまり、「自分でやったほうが早い」という結論にすぐになってしまう。僕が手伝えることある?と質問した時に、実際に仕事が振られたことがなかったので、たぶんそう感じているのだと思う。

 

そこで対策を始めた。

①今まで営業アシスタントに丸投げしていた仕事の一部を自分でやることを宣言した

②営業アシスタントの仕事を理解するように努める

③時間がかかっていそうな作業を、先回りしてやってあげる

④夕方遅くにかかってくる電話を、なるべくとってあげる

⑤明日できることは明日に回すように言って、早く帰ってもらう(帰ることの心理的ハードルを下げる)

 

今のところ③以外は結構できていると思う。とにかく、なるべく情報を共有して、「何をやっているのか」理解してあげるようにして、「自分じゃないとできない業務だ」と思わせてしまうことによる業務負荷を減らしてあげたいなと思った。

 

人に優しく。

人の生の危うさを想う

雑記

自分の人生は随分とたくさんの偶然によって成り立っている、と想う瞬間がある。例えば、妻の寝顔を見ている時。学生時代にちょっとしたきっかけがなければ、一切出会いもなく、交差することのない生活を送っていただろう。日々勉強し、就職をし、一歩一歩積み重ねてきた結果というよりも、神様のいたずらで今の生活が成り立っているような気すらするのだ。こんな感覚、わかるだろうか?

 

望んでも叶わぬ夢。追うと逃げる恋人。そこにいる時には気づかないのに、過ぎてしまうとその輪郭をはっきりと感じられる青春だとか。様々なものに翻弄され、いつしか「やってくる物事に反応しているだけの自分」を感じる瞬間はないか。

 

☆☆☆

 

人間らしくありたい、という気持ちを認識する度に、自分の不完全さに愕然とすることはないか。人に会い、身体を動かし、本を読み、旅をして、自分に欠けているものを探す。「外」に何か転がっているわけもないのに。自分探しと言いながら、自分から目を離し、外に目を向け、突然何か暗示があるわけでもないのに、何かにすがるようにじっと窓の外を眺める。

 

☆☆☆

 

生まれた瞬間からその生に喜びを見出され、何となく生きてきたが、これ以上何を頑張れというのか。

 

☆☆☆

 

この間、旧来の友人が死んだ。理由は、酒の飲み過ぎであったそうだ。酒を浴びるほど飲み、そのまま風呂に入り、溺れて事切れていたとのこと。生の苦しみに立ち向かうぐらいなら、酒に溺れていたほうが数倍もマシだったのかもしれない。死に顔は非常に安らかだったらしい。生から解放された喜びか、酒が回りすぎたことによる快楽の表情なのか知らないけど、なぜか僕は「良かったね」と思った。

 

☆☆☆

 

人の死は究極の完成体なのではないか、と想う瞬間がある。死んだ人は誰も傷つけないし、苦しんだりしない。環境を破壊することもない。僕は人を傷つけることがあるし、生きるのが辛い時ある。一日中クーラーをつけて部屋に篭り、ご飯を食べるのでゴミが出る。環境にも人にも優しくない。迷惑、という言葉が正確かどうか僕にはわからないのだけれど、生きていることによって実に様々は人に助けられ、迷惑をかけているのだという認識があり、それがたまらなく辛い時がある。布団をかぶっているだけで光合成ができ、誰にも迷惑をかけずに生きていけるような植物であればよかったのだが、人間なので仕方ない。二酸化炭素を吸って酸素を出せる機能でもあればね。僕には妻の悩みを聞いてあげることしかできない。

 

☆☆☆

 

生まれる時代を間違えました、と会社の上司に話したら大ウケだった。僕はいたって真面目な話をしたつもりだったのだけれど。「戦国時代に生まれ、14歳で元服し、戦場で斬られて死ぬ運命でありたかったです」と言ったら、腹を抱えて笑われた。僕はいたって真面目だったのだが。

 

抑制された文章、ブログにて

雑記

ブログを書いている時に、「自分が書きたいものはこうだ」とイメージがあるのに、そのイメージに脚色を加えて別の文章にしてしまうことはないだろうか。僕はある。まず、書きたい文章が浮かんでくるのだけど、その後「僕ならこんな文章にしたいだろう」という意識が先行し、実際にアウトプットされる文言は少しずつ変化していくのだ。

 

僕も「おいっす、にゅーとんでござんす。」とか書き始めたいんだけど、ブログを1年ぐらい書いていることによって自分で作り上げた自分のイメージを全く崩すことができずに、苦しんでいる。例えば「今日はすごーく立派なウンコが出ました」みたいな文章を書こうと思うと、「とても憂鬱だったが食欲だけは旺盛で、僕の気分とは裏腹にクソみてえな気分並びに糞が爽快に僕の身体から出て行くのだった」みたいな旋律が出来上がってしまい、非常に困惑するのであった。

 

この現象は酒を飲んでいる時によく発症する。酒を浴びるように飲んでいると、そのうち自分に語りかけてくる自分が現れる。あるいは語りかけてくる脳というべきか。自分と脳が乖離する。語りかけてくる脳に向かって自分が喋るという妙な現象が起こる。実際に自身の行動を決めているのは自分であるはずなのだが、その意思決定権を持つ脳と心が分離、いや全く別の機関として独立することにより激しく葛藤するということがある。

 

☆☆☆

 

「自分の言葉で語りましょう、さればPVは伸びます」みたいなことを言っているブロガーをこの間見つけたので、本当かよって思った。疑問は尽きない。自分の言葉で本当に語れる人間というのが皆無なのと、自分の言葉で語ることによってPVが伸びるという相関性が今ひとつ納得感に欠ける。自分の言葉ってお前、言語も言葉も思想も言霊も全部全部借り物だろうと。自分の言葉ってなんだ。自分の気持ちってなんだ。

 

☆☆☆

 

PVを伸ばす方法は簡単である。こんな雑記を書かないことだ。自分の言葉で語ることではない。検索優位性のあるワードを探し出し「◯◯なあなたに必見!あなたの生活を変える◯◯7選!」とか書いておけばいい。ちなみに7選!とか書いてもその選定されたポイントについては責任を取らなくてもいい。2選!でも10選!でもいい。大抵の場合、ろくに吟味されず思いつきで書かれているものにすぎない。

 

お金を稼ぎたければ記事中に陸上のハードルのように大量の広告を貼れば良い。広告主とユーザーとのwin-winの関係をぶち壊す反社会的行為だが大抵の人間は気にせずやっている。最近は興味のある記事を見つけてもすぐに広告を踏まされるのでブログを読む量が圧倒的に減った。最近自分の会社でもリスティング広告を出すことがあるのだけど、こんな形でお金を無駄に減らしている可能性があると思うとやりきれなくなる瞬間がある。そんなこと、知ったこっちゃないんだろうけどさ。

 

☆☆☆

 

ブログがあと1ヶ月で1年になるんだけど、仲の良かった雑記ブロガー達が半分以上やめてしまった。理由は様々だったが、ある人から「実に無為なひと時だった」とコメントを頂戴し、少し悲しくなった。確かに、PVも金も稼げず、ただ己の考えを放出するだけのブログが無為かもしれん。無為な時間を過ごす喜びもあると思ったが、喜びを感じる前に不愉快になることの方が多いかもしれん。僕は単純に文章を書くという行為そのものが面白く、100記事書いて1記事ぐらいの確率で80%満足みたいな文章が書けるのだけど、それぐらい気が長くないと続けられないのかもしれん。

 

☆☆☆

 

孤高さん、寂しいから早く帰ってきて。お願い。

kokounobonjin.hatenablog.com

【僕の夏休み2016】一度切らした集中を取り戻すのは難しい

雑記

お盆休みに入って、完全に気が抜けてしまって、何も手につかない状況が続いている。毎日続けられていた英会話も、お気に入りの先生のアポが取れないせいでサボってしまい、勉強が全くできていない。毎朝昼前に起きてご飯を食べてウンコして寝てご飯を食べてウンコして寝て。完全にウンコ製造機になっている。幸いニートではないのが救いである。

 

高校野球が盛り上がっているので見ると、炎天下の中頑張っている高校生の姿を見て一瞬胸が熱くなるのだが、すぐに気持ちが冷めてしまい、布団に丸まってすぐに寝てしまう。高校球児の熱い戦いも、ブラスバンドの心躍るミュージックも、全然響かない。伸びきったヒゲをさすりながら、クーラーの効いた部屋で彼らを見ていると罪悪感が半端じゃなくて、TVをつけるのもやめて、ひたすら寝ることにした。

 

何もしていなくても人間腹は減るもので、しかし料理をする気力もなく、コンビニまで腰をさすりながら歩く。ふらっとトイレに立ち寄り、鏡に映った髭面とジャージのまま外出してしまった自分を目の当たりにし、思わず鏡に頭を打ち付ける。冷静さを完全に失ったまま、牛丼とアイスを買う。温められた牛丼とアイスを同じ袋に入れるフィリピン人に怒る気力もなく、うつむいたまま家に帰った。甘ったるい味付けの濃い牛丼を食べていると妙にいらいらし、溶けてしまったアイスを冷凍庫にぶちこんだあと、不貞寝をしていたら夜になっていた。

 

これが大人の夏休みです。これが大人の夏休みです。