めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」。最近投資系の記事は「http://www.toshi-meguri.net」で書いています。

自分で決めやがれ、とさ。

砂漠で出会うような、もう二度と会わないような相手に対して、心からの贈り物をしなさいというような諺があった気がする。出会いは一期一会、もう会うこともない、刹那、その一瞬に対して最大の愛を送る。それは人生において大事なことなんですよ、みたいな言葉があるらしい。

 

一方、日本の社長で「俺はタクシーの運転手に釣り銭を渡すようなバカなことはしない」と言う人もいる。その人は一代で会社を上場させ、富を築き、人生を成功させた。その人曰く「もう会わないようなやつになぜ親切にするのだ、俺は可能性のあるやつに愛を注ぎたい」みたいなことを言ったらしい。

 

どちらも、正しいのだろう。とっても、正しいのでしょうね。

 

だからね、間違っていることは何とか理解できても、正しいことなんて人には理解し得ないということなんだよ。悲しいよね。

 

結局全部自分で決めるしかないわけ。誰かの言葉に寄り添って、人の生に頼って、生きるしかないわけ。そういう原罪を俺たちは抱えてるわけ。

 

考えるのは放棄したくないけど、時々すごく虚しくなって、何もかも投げ出したくなるような衝動が一瞬あり、その後生きる希望も少し湧いてくるのはなんなの?人間ってなんなの?

 

いい加減にして。

人生は選択の連続だ

金をおもいっきり稼ぎ、独立し、社長になるという夢がある。

 

その一方で、今、とてもぬるい会社員生活を送っているが、週に2回のテニスと楽しい自炊とベースを弾いてそれなりに幸せを感じてもいる気がする。

 

選択を迫られている。

 

俺はどちらにもなれる。切り開くのは自分だからだ。決定するのは神の意志ではなく、自分自身であり、結果を受け入れることができれば、前に進める。いやなことから逃げ続けるのではなく、「ああしたい、こうしたい」という想いを大切にして生きる。短い人生の中で、輝くことができるか。問われている気がしてならない。

 

若いと人生はやり直しがきくという話を聞かんでもない。ないが、それは無責任な言葉であろうよ。いわゆる"成功者バイアス"というやつだな。どん底からたまたま這い上がれたやつがマウントをとるために俺たちにアドバイスをしている。が、最後に決めるのは俺なのだよ。だって俺の人生なんだもの。お前のじゃないし。

 

何もかもが自分が決定できるとわかった時、世界は広く感じる。だが、落とし穴もあるんだろう。ある種の物事は、後戻りが難しいからだ。あるいは、深く傷つき、長い間痛みを発するような何かが起きるかもしれない。それはわからん。でも、前に進むしかないんだろう。

 

正解はない。なんてつらいんだろうね。人の知恵なんてこんなもんですか。残念ですね。仕方ないからもがくことにするよ。

 

ライティングタイムアタック : 3分41秒

野菜350g取ったし運動したし瞑想もしたけどメンタルがだめになっていく

野菜350g取ったし運動したし瞑想もしたけどメンタルがだめになっていく。

 

睡眠もちゃんとキープしているが、不安定だ。突然怒りが湧いたり、悲しくなったり、勇気が湧いたり、湧いたものが溢れて吐いたりする。困ったものだ。

 

ゼブラ先生は野菜と運動と瞑想があれば何とかなるとおっしゃっていたが、一度メンタルをやってしまった人間は無理だと思う。重い鎖に縛られて、解けない。それでも踠いて、外してみると、気づいたら別の場所に鎖がついていることに気づく。繰り返しだ。

 

言葉は溢れ、頭の中を駆け巡り、口は動き続け、いつか倒れる。そんなことを繰り返し続けている。考えた先から考えが繋がり、それは木の根のように広がっていき、分岐し、収拾がつかなくなる。いつものことだ。

 

俺が喋る言葉を、俺自身が聞いている感覚。ちょうど俺が大学生の時だ、落研で落語を披露していていた時の感覚だ。感覚が研ぎ澄まされてくると、俺を見下ろす俺が現れ、喋りながら考え、考えながら喋るということが可能になる。つまり制限がない。終わりがない。考えは無限に広がりを見せ、留まるということをしらない。俺は困惑し続ける。

 

なあ、もう終わりにしたいんだが。

論理的なセックス

論理的なセックスという言葉が急に浮かんできて、それについて考えてみた。まあなぜそう考えたかというと論理的な女が前に座っていたからで、どう論理的に口説けばセックスに至るのであろうかと考えているうちに変な境地へたどり着いてしまった。


情熱的なセックスであれば、それはもう貪り合うような絡み合い、愛液の絞りあい、慰めあい時には殴り合いなんだろうけど、論理的なセックスってなんだろう。


「そこ違うって前も言ったよね。最適解で言えばもっと高い角度から挿入しないと気持ちよくないって言ってるでしょ」


「前戯が弱すぎる。もっと強弱をつけて感動させて」


「セックスの前振りとしての高級レストランは悪くなかったけど、お互い食べるものが違ったら舌が絡み合った時にぶつかるでしょうが、このおバカ」

 

みたいなことを言われるんだろうか。誰か教えてくれ。

時代の変化と昭恵夫人の美しさに驚いた新年

 

新年早々、驚かされた動画だよね。日本国の内閣総理大臣の言葉を、まさかツイッターを通じて聞くことができるなんて、すごい時代だ。

 

現在の日本は停滞感や閉塞感も強く、息苦しさもあったけれど、この動画を見て少し元気になれた気がする。

 

そしてそれにしても、昭恵夫人の美しさよ。まずこの総理であり、夫を立てる姿の尊さを見てくださいよ。半身下がった状態のお二人のお姿は完成されており、他に必要なものを感じない。敬愛、いやここは恵愛と言う方がかえって望ましいのだろうか、その見事な立ち振る舞いに言葉もない。やはり美しきかな、日本文化の素晴らしさを目の当たりにした瞬間だった。

 

夫を立てるというのは、差別ではない。美しいじゃありませんか。夫であり、総理を立て、裏で支えることの尊さよ。影で支えるものは表に出るべからず、という謙遜。とても良い。歴史に刻まれるべき人、物、事は全て裏で支えてきたものがあってこそ。その真髄をこの一本のビデオから感じられた。

 

それにしても昭恵夫人、56歳とは...。とても美しい。