めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」。最近投資系の記事は「http://www.toshi-meguri.net」で書いています。

人生は選択の連続だ

金をおもいっきり稼ぎ、独立し、社長になるという夢がある。

 

その一方で、今、とてもぬるい会社員生活を送っているが、週に2回のテニスと楽しい自炊とベースを弾いてそれなりに幸せを感じてもいる気がする。

 

選択を迫られている。

 

俺はどちらにもなれる。切り開くのは自分だからだ。決定するのは神の意志ではなく、自分自身であり、結果を受け入れることができれば、前に進める。いやなことから逃げ続けるのではなく、「ああしたい、こうしたい」という想いを大切にして生きる。短い人生の中で、輝くことができるか。問われている気がしてならない。

 

若いと人生はやり直しがきくという話を聞かんでもない。ないが、それは無責任な言葉であろうよ。いわゆる"成功者バイアス"というやつだな。どん底からたまたま這い上がれたやつがマウントをとるために俺たちにアドバイスをしている。が、最後に決めるのは俺なのだよ。だって俺の人生なんだもの。お前のじゃないし。

 

何もかもが自分が決定できるとわかった時、世界は広く感じる。だが、落とし穴もあるんだろう。ある種の物事は、後戻りが難しいからだ。あるいは、深く傷つき、長い間痛みを発するような何かが起きるかもしれない。それはわからん。でも、前に進むしかないんだろう。

 

正解はない。なんてつらいんだろうね。人の知恵なんてこんなもんですか。残念ですね。仕方ないからもがくことにするよ。

 

ライティングタイムアタック : 3分41秒

野菜350g取ったし運動したし瞑想もしたけどメンタルがだめになっていく

野菜350g取ったし運動したし瞑想もしたけどメンタルがだめになっていく。

 

睡眠もちゃんとキープしているが、不安定だ。突然怒りが湧いたり、悲しくなったり、勇気が湧いたり、湧いたものが溢れて吐いたりする。困ったものだ。

 

ゼブラ先生は野菜と運動と瞑想があれば何とかなるとおっしゃっていたが、一度メンタルをやってしまった人間は無理だと思う。重い鎖に縛られて、解けない。それでも踠いて、外してみると、気づいたら別の場所に鎖がついていることに気づく。繰り返しだ。

 

言葉は溢れ、頭の中を駆け巡り、口は動き続け、いつか倒れる。そんなことを繰り返し続けている。考えた先から考えが繋がり、それは木の根のように広がっていき、分岐し、収拾がつかなくなる。いつものことだ。

 

俺が喋る言葉を、俺自身が聞いている感覚。ちょうど俺が大学生の時だ、落研で落語を披露していていた時の感覚だ。感覚が研ぎ澄まされてくると、俺を見下ろす俺が現れ、喋りながら考え、考えながら喋るということが可能になる。つまり制限がない。終わりがない。考えは無限に広がりを見せ、留まるということをしらない。俺は困惑し続ける。

 

なあ、もう終わりにしたいんだが。

論理的なセックス

論理的なセックスという言葉が急に浮かんできて、それについて考えてみた。まあなぜそう考えたかというと論理的な女が前に座っていたからで、どう論理的に口説けばセックスに至るのであろうかと考えているうちに変な境地へたどり着いてしまった。


情熱的なセックスであれば、それはもう貪り合うような絡み合い、愛液の絞りあい、慰めあい時には殴り合いなんだろうけど、論理的なセックスってなんだろう。


「そこ違うって前も言ったよね。最適解で言えばもっと高い角度から挿入しないと気持ちよくないって言ってるでしょ」


「前戯が弱すぎる。もっと強弱をつけて感動させて」


「セックスの前振りとしての高級レストランは悪くなかったけど、お互い食べるものが違ったら舌が絡み合った時にぶつかるでしょうが、このおバカ」

 

みたいなことを言われるんだろうか。誰か教えてくれ。

時代の変化と昭恵夫人の美しさに驚いた新年

 

新年早々、驚かされた動画だよね。日本国の内閣総理大臣の言葉を、まさかツイッターを通じて聞くことができるなんて、すごい時代だ。

 

現在の日本は停滞感や閉塞感も強く、息苦しさもあったけれど、この動画を見て少し元気になれた気がする。

 

そしてそれにしても、昭恵夫人の美しさよ。まずこの総理であり、夫を立てる姿の尊さを見てくださいよ。半身下がった状態のお二人のお姿は完成されており、他に必要なものを感じない。敬愛、いやここは恵愛と言う方がかえって望ましいのだろうか、その見事な立ち振る舞いに言葉もない。やはり美しきかな、日本文化の素晴らしさを目の当たりにした瞬間だった。

 

夫を立てるというのは、差別ではない。美しいじゃありませんか。夫であり、総理を立て、裏で支えることの尊さよ。影で支えるものは表に出るべからず、という謙遜。とても良い。歴史に刻まれるべき人、物、事は全て裏で支えてきたものがあってこそ。その真髄をこの一本のビデオから感じられた。

 

それにしても昭恵夫人、56歳とは...。とても美しい。

激動の2018 なるようになるではない。物事は悲しく帰結することがあると知れ。

激動の一年であった。

 

大胆な引っ越し、慣れない子育て、仕事に、追い込まれて休職、メンタルが崩壊し実家に行くも二度の家出、友人の家でも家出をし、気づいたら適応障害ではなく、そもそも発達障害であることが判明。俺は俺たる所以を失い、旧友を失い、所得を失い、家庭も壊した。何もかもが破滅していった。

 

今は多少落ち着いているが、油断を許さない状況だ。「仕事をしてなんとか生きよう」「所得がある程度あれば家を出られるだろう」「みんな子育てをやってるし、うちもやろう」そんな曖昧なニュアンスで、俺は28年生き、こうなった。

 

今日好きなカフェで隣の男の妻が妊娠したという話を聞き、祝福したのだが、引っかかる一言を俺に放ち、誰にぶちまけることもできない激情で溢れかえった。

 

「俺が産むわけじゃないですからね。それに産まれてからもなんとかなりますよ。ふっ」っと言い放ちやがった。その言葉の軽さたるや。てめえ一度地獄を経験してみろやと俺は思ったよ。

 

なんとかなる、という言葉がその時、俺の中で最も嫌いになったと感じる。なんとかなるのではない。万物はなんとかなってしまうのである。結果を受け入れられるか、その一点のみが真実である。

 

五体不満足で産まれてきても、その涼しい顔がてきんのか?夫婦の関係が悪くなっても、すぐ持ち直せるのか?自信満々に言いやがって、嫌な奴だと俺は思った。「生きていくのが不安で…」というやつの方がおれは好きだ。ネガティブでも愛想があれば人に助けられる。おれはとにかくこの分かりきったような、すましきった野郎が嫌いである。

 

一度起こってしまったある種の物事は、セメントのように固まってしまい、うごかない。破壊するしかない。それもお前、受け入れられんのかよ。と、おれは思うね。死ぬのが怖い、生きるのが怖い、人を育てるのが怖い、やったことがないことをやるのが怖い、そうやって悩み苦しむやつこそ人間だろ。