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めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」

欲しいものが手に入った時の盛大な喜びはどこへ、という話

暮らし

また別の記事で書こうとは思っているんだけど、僕の生活環境が目まぐるしく変化しつつある。仕事の環境も、日常生活もそうだ。最近は家に物が増えた。Macbook Airを購入したり、PS VITAを購入したり、なぜか友人からPS3を譲ってもらえることがあったり。物が増えるっていうことは、豊かになるってことだ。それ自体はとてもいいことなんだけど、ふとタイトルに書いたような「物が増えた時の喜び」について真剣に考えることになった。

 

Macbook Airは10万円以上したし、PS VITAだってゲームソフトと合わせて3万円近く払って購入している。ところが、子供の頃のような「家に欲しかったものが来たぞ!」という喜びはそこまで大きくない。「まあお金を払えば手に入るわね...」という心持ちだ。もちろん買った瞬間は「買っちゃったぞ」という背徳感と高揚感があり、箱を開けた瞬間の感動、実際に触った時の満足感はあるんだけど、その後のテンションが継続しない。嬉しさは非常に一時的なものになってしまう。なんだかこの感覚が非常に僕の中で興味深かったんだよね。

 

小学生や中学生の頃、お金を握りしめて初めて漫画を買った時は嬉しくて嬉しくて、毎日毎日読んだりとか、PS2が初めて家にやってきた時には嬉しくて飛び跳ねて、親父には毎日毎日目を輝かせて感謝の意を述べたりとか、パソコンが自分の部屋に置けるようになった時は嬉しくて床をごろごろ転がったり写真を取ってみたりしてはしゃいでいた昔を思い出すと、この冷静な自分は一体なんだろうと思ったりする。

 

少し考えてみると、大きく分けて2つの要因があるかなと思った。一つは「世の中に流通しているものがお金を支払うと大抵手に入るようになった」ということ。もちろん社会人であっても出せる金額には限度があるけれど、子供の頃よりは格段に手を出せる範囲が広くなっているから、感動が薄れているのかもしれないと感じている。

 

そして二つ目は、「喜びを感じられるハードルが一段階高まった」ということ。単純に自分の物欲を満たすだけではたぶんもう僕の人生は豊かにならないだろうと思っている。世の中でもよく言われていることだけれど、喜びは一人で感じるよりも複数人で感じられる方が良い。つまり自分本位な行動から、分かち合いの行動になっていかなければいけないと思っている。

 

今回買ったゲーム機も、パソコンも、僕の婚約者はほとんど興味がない。厳密に言えば「共有できるもの」ではあるけれど、「喜びをわかちあう」という面ではあまり価値がないものだ。これからはもう少し一つ一つ買うものについて相談して、二人で豊かになれればいいな。そう思っている。今は思っているだけなので、伝えないといけないとも思っている...。

 

今日はおしまい。