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めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」

無職は才能だぜ兄貴。

雑記 読書

アルトゥル・ショーペンハウアーは「幸せの数を数えれば、あなたはすぐに幸福になれる」というようなことを言っていたらしい。確かにその通りだと思う。それに少なくともトルストイの言葉よりも救いがある。「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」まあ、他人の不幸に寄り添うよりも僕は自分の幸福について考えたいね。所詮他人なんだからさ。

 

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無職になってから20日ほど経過した。注意深く暮らしてきたつもりだったけれど、ゆっくりと、確実に僕の生活はその均衡を崩しつつある気がする。自分自身のことは慎重にコントロールしているつもりだった。毎日7時に起き、外に出て5km以上歩き、ストレッチを行い、図書館に行って本を借りて読書をし、家事をしながらドラマを見る。たまにはゲームもする。夜更かしはせずに12時を過ぎたら布団に入って眠る。その繰り返しだ。でも今日は全てがうまくいかなかった。歩いていてもリラックスできなかったし、図書館は妙に騒がしくて長居できなくて、立ち寄ったスターバックスでフィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」を読んだが数ページで集中力が切れた。何をしていても落ち着かない1日だった。ギャツビーのように自分を律することはできないようだった。注意深く習慣の中に自分を溶け込ませ、余計なノイズを入れないこと...。それこそが重要だと思っていたのだけど、僕にはその努力が足りないか、そもそも足りない部分があるようだ。それがわかったことは収穫かもしれない。悲しいけれど。

 

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無職にこそ習慣が必要だと僕は思っていた。有り余る時間を有効に使い、余計な雑念を入れずに取り組むには方法論か習慣が必要だからだ。1日中好きなように時間を使えるという自由は、ある意味不自由な生活であるとも言える。我々は不自由な生活の中にこそ自由を見出すことができる。忙殺された1日の中でも、1時間でも自分が好きなことをする時間が取れれば、幸せを感じることができる。でも無職は違う。全ての行動を自ら意思決定し、充実した生活が送れるように作り上げていく必要がある。戦国時代であれば14歳で元服して戦場で死ぬことが本望でいられたが、現代はそうじゃない。生き方を選び、毎日の暮らし方を選択できる。与えられた時間に対して、誠実に向き合う必要がある。だんだん息苦しくなってくる。溺れそうな気分だ。

 

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就職活動は最近まで順調であったのだけど、内定を一つ蹴ってからは書類選考にすら通らなくなった。何かの呪いを受けたかもしれない。「システムエンジニアの経験のある方を営業職で募集しています。法人経験は問いません。」というエンジニア歴3年、法人営業歴1年の僕にぴったりの求人ばかり選んでいるのだが、なぜか立て続けに選考に落ちている。条件的には完璧なはずなので、たぶん僕の顔写真が気に入らないか、神経質に書かれている僕の履歴書の字が気がかりなのだと思う。筆圧の強く、緊張した字。履歴書が手書きでないことで落とされる可能性が1%でもあると嫌だと思い懸命に書いたのだが、逆効果だったかもしれない。でも、悲しみに暮れながらこの文章を書いていたら転職エージェントから書類選考通過の電話が入った。変に悩みすぎるのもよくないかもしれない。人は悩もうと思えば永遠と悩むことができる。悩むという行為は非常に非生産的で後ろ向きだ。次にやるべきことは何か考え、行動に移すことが大事だ。そう思って今日の誰も得しない日記を終えるが、まず僕が最初にやるべきことは、転職エージェントからの電話に驚き、床にこぼしたコーヒーをきちんと拭くことのようだ。