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めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」

一握の砂

雑記

ブログで文章を書こうと思った時、皆さんはどう自分の言いたいことを言語化し、構成していきますか?だいたい賢い奴だと結論をまず考えて、その結論までの道筋を作るための肉付け、根拠を記述し、どんな方向から見られても戦えるように理論武装すると思う。でも僕はそんなことはしない。ビジネスで文章を書いているわけではないし、そんな風にブログを書いても面白くないからね。(これは僕の考えなので、みんな好きにブログを書けばいいと思う)

 

僕の場合だいたい歩きながら考え事をしている時に、情緒的なフレーズが4つとか5つぐらい湧いてくるときがあるわけ。で、僕はそのフレーズを中心において文章を書く。細部から全体を作り上げていくようなイメージ。心の底からふっと出た言葉を大切にして、一番言いたいことが埋もれないようにする。

 

でもこの作業はとても難しい。頭の中に湧いたイメージは、恐ろしいほど早いスピードで消えていってしまい、掴みかけた想いはあっという間に手の内からこぼれ落ちていく。紡ぎかけた言葉が突然無意味なものに感じられ、全く見当違いなものが生まれてくることもあって、毎日のように失望している。「産みの苦しみを知れ」そんな風に言われている気がする。

 

ただ、こうした作業を経て出来上がった文章は僕の宝物になっていった。良いものも、出来損ないのものも、自分の子供のように可愛いし、「僕にもこんな文章が書けたのだな」と励まされることもある。

 

文章に意味をつけていくことはとても簡単ではあるけれど、途方もない道のりを経て出来上がったものにはそれなりの価値が出る。僕は物事について考える時、「どれだけ周り道ができたか」を大切にする。例えば「なぜ僕が今存在するか」について考える時、「母ちゃんが孕んだからだよ」ではストーリーが落ちないんだよね。この辺りは文化的素養の大切な要素だと思うんだけど、小説を書くような人はだいたい持ってるんじゃないかな。たぶん小説の中で言いたいことは本当にわずかなんだけど、そのわずかを説明するためにあれだけたくさんの文章を書いているわけでしょ。で、読者を納得させたり感動させたりする。半端じゃない熱量があってこそできる芸当だと思う。

 

いつか、心の底から湧き上がってくる情熱思想理念を言語化してやる。そんな風に思いながら、僕は今日もキーボードを叩いている。