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めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」

苦しみの比率が大きい

仕事に打ち込んでいても、遊びに全力になっても、どこかあるタイミングで「僕はなにをやっているんだろう?」と思う瞬間があって、それは悪夢を見たあとの後味の悪さとはまたちょっと違う、居心地の悪さを感じる。

楽しいことは一杯あって、自分が恵まれていると感じられることもたくさん、たくさん数えきれないくらいあって、現状を変える力もおそらくあるのに、目の前にはまだ膨大すぎる時間が、生き抜くための準備が、困難を乗り越えるための覚悟が必要で、そんな重圧に潰されそうになりながら生きてる。

(年齢的にも精神的にも成熟した)大人たちはそういった人生の段階を確実に乗り越えていて、一見涼しげな顔をしててもたくさん苦労してきているのはわかっていて、どうしようもなく大変な毎日を送りながら、それでもささやかな幸せを自分の中に持っている様子はただ尊敬してしまう。

中学生ぐらいからだろうか、あるタイミングで人は急に成長できるわけではないことを知り、役割を与えられ責務を全うすることで己を律することができるだけであることがわかりひどく悲しくなった。自分のキャパシティを超えた役割を持ってしまうと壊れてしまったり、道を外れてしまったりする。まっとうな幸せというものはよくわからないけれど、人間としての幸せをきちんと享受できるかどうかはその人の力と運によって左右される。決して平等に与えられるわけではない機会を、飯を取り合うかのように必死に奪い合わないと得られないものもたくさんあるのだろうな。

「変わろうと思えば人はいくらでも変われる」とは、何とも残酷な言葉ではなかろうか?何でもできるということは、何もできないということと同義なのではないだろうか。ちょうど機能が詰まりすぎていて使い方がわからないサービスのように、僕も自分の人生の使い方(使い方?)がよくわからん。