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めぐりめぐる。

落語や漫才を見るのが好きです。エンタメ系の記事を中心に、幅広く書きたいことを綴るブログです。メールでのお問い合わせはこちら「infomeg2@gmail.com」

人はきっと何もかも忘れていく、それに救われる

ひっさびさに過去の自分の日記を読み返しているんですが、面白いですね。ブログをやってて一番面白い作業かもしれません。自分の日記を読むって昔から好きなんですよ。テキストサイト全盛期の頃の自分のブログとか、大学時代にどこにも書けずノートに書き殴った情熱のある文章とか。「本当に自分から生み出されたものなのか」思わず疑ってしまうような、そんな瞬間がいくつかあって、動揺や驚きや喜びを感じながら、じっくりウイスキーを味わうように読みます。至高の時間ですね。

 

「これは俺のようで俺じゃないな」と思ったりする。3日経てば人は考えが変わるっていうぐらいなので、いかに自分が変化しているのかがよくわかるわけです。言わば赤ちゃんの成長日記をもう少し具体的に記述したようなものが出来上がってる。思考のパターンとか、悩むポイントとか、少しずつ変わってて。またあるいは、「この時点で俺は大きく違う方向を向き始めたのだな」とわかる瞬間が記述してあったり。その憂いだとか喜びを拾っていく作業が何とも言えず良い。自分の抜け殻を眺め、突っついたり拾ったり踏みつけたくなったりする。

 

☆☆☆

 

読み進めていくと、新たな発見というよりも「忘れていたな」と思う頻度の方が多い。というか忘れすぎている。こんなに人って物事を忘れていくのだなと驚き、この無神経で構造的欠陥のある脳にいらつく反面、それに救われている自分も今存在していることを実感できる時もある。特に辛いことは、早く忘れてしまいたい。リアルすぎる過去の輪郭は、胸の内に長いことしまっておくといいことがないのかもしれない。机の中にしまっておいて、時々見返しては思い出すぐらいがちょうどいいのかもしれない。本当に必要なことだけ、覚えておけばいいのかもしれない。都合良く生きていけるように、少しずつ人は変わっていったのかもね。それは人の成長と呼ぶべきなのか、退化していると捉えるべきなのか、変化する方向を間違えたと言うべきなのか、判断が難しいところだけど。

 

あんなに衝撃的で辛かった思い出が、今では反芻し人生の教訓として受け止められるという事実。恐ろしいけど、逆にそこに救われる気もする。結局大抵のことは風化して忘れてしまうと思えば、もう少し今後の人生を楽に受け止められるような...諦めのような元気が湧いてくる。

 

だけど全部全部忘れてしまうのは怖いので、時々でいいから思い出せるように、そっと自分の中に居場所を準備しておくように、文章を残しておきたい。